千葉県成田市成田にある真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)のお寺。
成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)。
成田山新勝寺は、社寺としては明治神宮に次ぐ全国第2位。
寺院に限ると全国第1位の参拝客を誇るとても有名なお寺で、誰もが一度はその名を聞いたことがあると思います。
今回の記事では、そんな成田山新勝寺の「歴史」と「ご利益」について徹底解説していきたいと思います♪
これからお参りや観光に行かれる方、そして歴史好きな方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
目次
成田山新勝寺の歴史
940年:開山
1063年:源頼義が本堂を再建
1188年:千葉常胤が本堂を再建
1544年:増上寺の道誉上人が成田山で、参籠断食修行をして奇瑞を受ける
1566年:成田村一七軒名主が不動明王像を背負って遷座
1636年:照禅上人が仁王尊を造立
1655年:旧本堂薬師堂が健立
1674年:水戸黄門徳川光圀が参詣
1688年:初代市川團十郎、御本尊の霊徳により一子久蔵(二代目團十郎)を授かる
1690年:徳川将軍家より秘仏不動明王、二童子を賜る
1701年:光明堂が健立
1704年:佐倉藩主・稲葉正通が出世稲荷の尊像を寄進
1705年:佐倉藩主・稲葉正通が黒印地囲護台50石を寄進し、寺領となる
1707年:京都嵯峨大覚寺直末に転ずる
1712年:三重塔が健立
1722年:一切経堂が健立
1821年:七代目市川團十郎、金一千両をもって額堂を寄進
1829年:二宮尊徳、断食参籠修行。客殿再建
1858年:釈迦堂が健立
1861年:額堂が健立
1877年:成田山花園(現成田山公園の前身)を開園
1881年:明治天皇行幸の折に、成田山が行在所として定められる
1882年:明治天皇の再度の行幸を仰ぐ
1901年:成田図書館(後の成田山仏教図書館)を開設
1905年:成田幼稚園を開設
1908年:成田女学校(後に成田高等女学校)を開設
1936年:奥殿、内仏殿を建立
1938年:成田山開基1000年祭記念大開帳を奉修する開山堂を再建する
1946年:真言宗智山派の大本山となる
1947年:成田山霊光館を設立
1950年:成田山勧学寮(後の勧学院)を開設
1964年:本尊として安置されている不動明王及二童子像が重要文化財に認定
1967年:成田高等学校付属中学校を開設
1968年:本堂「大本堂」の建立
1973年:はぼたん幼稚園を開設。成田高等学校付属小学校を開設
1975年:境内にて、光輪閣の建立
1980年:「光明堂・釈迦堂・三重塔・仁王門・額堂」が国の重要文化財に指定される
1984年:弘法大師1150年御遠忌。平和大塔の建立
1985年:十二代目市川團十郎襲名奉告の御練り参拝
1988年:成田山開基1050年祭記念大開帳を奉修。交通安全祈祷殿を建立。成田山仏教図書館・成田山仏教研究所が竣工
1992年:興教大師850年御遠忌記念大祭を奉修。聖徳太子堂を建立。成田山書道美術館を竣工。成田高校講堂、全天候グラウンド、男子・女子寮を竣工
1994年:平和大塔建立10周年記念大祭を奉修。成田山世界平和宣言を制定
1996年:慰霊堂を建立
1998年:成田山開基1060年並びに開山寛朝大僧正1000年御遠忌記念大開帳を奉修。真言祖師行状図絵・平成大曼荼羅が完成。成田山公園大修復が竣工御本尊上陸聖地整備
2004年:十一代目市川海老蔵襲名奉告の御練り参拝。平和大塔建立20周年記念大祭を奉修
2007年:世界最古の会社「金剛組」の宮大工によって総門が健立
2008年:成田山開基1070年祭記念大開帳を奉修
2017年:開基1080年祭記念事業として醫王殿が健立
2018年:開基1080年を迎える
2022年:十三代目市川團十郎襲名奉告の御練り参拝
2023年:弘法大師ご生誕1250年記念大祭を奉修
成田山新勝寺のご由緒
成田山新勝寺は、平安時代中期に起こった平将門の乱(たいらのまさかどのらん)に由来します。
朝廷は「平将門の乱」制圧の祈願を大寺社や密教僧に命じました。
939年に寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)も天皇の勅命を受けます。
寛朝大僧正は京都の神護寺・空海作の不動明像を報じて下総国公津ケ原へ入り、この地に朝敵調伏を旨とする「不動護摩供」を奉納しました。
その後、しばらくして平将門は倒されます。
平将門の最期は諸説ありますが「寒の戻りの風に乗った一本の流れ矢が将門の額に命中した」と伝えられます。
これを朱雀天皇は「不動明王の霊験」とたいへん喜びました。
そして、さらに不思議なことが続きます。
寛朝大僧正が京都へ帰ろうとした際に、なんと不動明像が全く動かなかったそうです。
そして、寛朝大僧正は「この地に留まり人びとを救う」と霊告を受けます。
それを聞いた朱雀天皇は「公津ヶ原にて東国鎮護の霊場を拓くべき」と考え、開山することが決まりました。
これが成田山新勝寺の始まりと言われています。
開山と開基
開山(かいさん)とは、寺院を創始することを指す仏教用語です。
仏道修行の場として閑静な地が望ましいことから、しばしば山間に道場や寺院が建立され、山号を有したことに由来します。
一方で開山の類義語として、開基(かいき)があります。
開基は、寺院の創始にあたって必要な経済的支持を与えた者を指します。
お寺を創始すること=開山
お寺のスポンサーになった人=開基
開山と開基は、このように捉えると非常に分かりやすいです。
寛朝大僧正とは
成田山新勝寺、開山の祖である寛朝大僧正は、940年に平将門の乱を鎮めるために関東に下り祈祷をしました。
そのときに祈祷した不動明王を本尊として創建されたのが、成田山新勝寺です。
寛朝大僧正は、986年に真言宗では初めて大僧正に至り、日本では三番目の大僧正に至りました。
また寛朝大僧正の父は、宇多天皇の皇子・敦実親王(あつみしんのう)であり、皇室とも血縁関係にある格の高い僧侶でもあります。
真言宗智山派とは
真言宗智山派は、日本における仏教の宗派の一つです。
真言宗智山派は弘法大師空海を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つです。
真言宗智山派は、空海が密教として日本に伝えた真言宗を覚鑁(かくばん)が唱えた密厳浄土思想によって改革しました。
それまで仏に近づくために時間をかけて厳しい修業を重ねるものとされていた考え方を「修業を積むことによって、その身のまま仏になれる」と説きました。
真言宗智山派の考え方は当時は異端とされていましたが、後世には再評価されます。
荒廃と発展の成田山新勝寺
1566年に成田村一七軒名主が不動明王像を背負って、成田山新勝寺の場所を移動して伽藍(がらん)を建てました。
現在の成田市並木町にある「不動塚」周辺が「成田山発祥の地」とされています。
ところが戦国時代の混乱の中で荒廃してしまい、成田山新勝寺は寂れ寺の時代がしばらく続きます。
成田山新勝寺が発展をするのは江戸時代からで、世情が落ち着くと伽藍が再建・整備され、江戸から近いこともあって参拝客が増えました。
明治維新以降、新勝寺はお札を通じて戦時下の人々の精神的な助けとなり急速な発展を遂げます。
成田山新勝寺の「身代わり札」は「鉄砲玉から身を守る札」として、1894年の日清戦争当時から軍人らに深く信仰されていました。
1938年の日中戦争のときも陸海軍に「新勝号」「成田山号」と名づけた戦闘機を献納(けんのう)しており、成田山新勝寺はお国のために積極的に協力をしています。
近代の成田山は、公園の整備や教育事業への参入など、社会事業を通じて多くの人から支持を集めています。
成田山と歌舞伎・市川家の絆
成田山と歌舞伎の市川家には深い関係があります。
初代市川團十郎の父親は、もともと現在の成田市幡谷出身でした。
そして、初代團十郎は14歳で初舞台を踏み坂田公時にふんし、紅や墨で顔を隈取り市川家のお家芸である荒事(あらごと)を創演し、大変な人気を得ました。
しかし、初代團十郎は子宝に恵まれず、父祖以来信仰している成田山に祈願したところ、その願いが叶って1688年に男子(二代目團十郎)を授かりました。
初代團十郎はこの霊験を大変喜び、1695年に成田山不動明王を初演し、たびたび不動明王を演じました。
こうして、お不動様の役は市川家の十八番となり「成田屋」の屋号もこの頃から始まったものとされています。
江戸で團十郎が成田山のお不動様にちなんだ歌舞伎を演じることにより、多くの江戸っ子達は成田山を訪れるようになりました。
「江戸から2泊3日。往路船橋で1泊し、2日目に成田山を参詣。復路も船橋で宿をとる」
このような旅行プランを、多くの人が立てたようです。
当時の成田山周辺には次第に旅籠(はたご)や食事処が立ち並び、門前町が形成されました。これが、現在の成田山表参道の原型となります。
成田山の古い厨子(すし)には「成田山開帳 取持 市川團十郎」と記されているようです。
歴代の團十郎は、成田山に参詣する時はもちろんのこと、ご本尊を江戸に迎える出開帳(でがいちょう)のときにも、必ず参詣に来る人達をもてなし、接待したようです。
現代の2022年には市川海老蔵の名で知られる、13代目市川團十郎氏は成田山新勝寺で「十三代目市川團十郎白猿」襲名披露の「お練り」を行っています。
このように成田山と歌舞伎の市川家は、大昔から深い絆で結ばれており、市川家にとって成田山とは代々受け継がれる「ゆかりの地」なのです。
成田山新勝寺のご利益について
成田山新勝寺のご利益について、以下で紹介します。
成田山新勝寺には、さまざまな「お堂」があり、それぞれ得られるご利益が違うので、ぜひ入念にチェックしてみてくださいね。
醫王殿のご利益
醫王殿(いおうでん)には上記のご利益があります。
醫王殿は2017年に、開基1080年祭記念事業として建立されました。
御本尊である薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大醫王如来とも称されます。
古来、病を癒やし苦痛を取り除き、寿命を延ばす功徳があり健康長寿、息災延命の仏様として信仰されています。
脇侍(きょうじ)の日光菩薩は太陽のような光明を放ち心の闇を取り除き、月光菩薩は月のような穏やかな慈悲の心で煩悩を鎮めます。
眷属の十二神将は、十二の方位を守り干支の守護神として信仰されます。
大師堂のご利益
大師堂では上記のご利益を得ることができます。
なぜなら弘法大師をはじめ「興教大師・当山代々の先師・ご参詣者皆さまのご先祖・有縁の御霊」を祀っているからです。
大師堂では毎朝供養を行っています。毎日の供養を通じ、いつまでも亡きゆかりの方に感謝するとともに子孫の繁栄を祈念しています。
大本堂のご利益
上記が大本堂で得られるご利益です。
なぜなら、大本堂には「不動明王」が祀られているからです。
大本堂は成田山新勝寺で「最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場」です。
堂内正面には御本尊である不動明王が、向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左に制咤迦童子(せいたかどうじ)を従えています。
また、四大明王や平成大曼荼羅(だいまんだら)などが奉安されています。
大本堂は1968年に建立されました。
釈迦堂のご利益
釈迦堂では、上記のご利益を得ることができます。
なぜなら「普賢菩薩・文殊菩薩・弥勒菩薩・千手観音」が奉安されているからです。
釈迦堂は、かつての本堂で1858年に建立された重要文化財です。
大本堂の建立にあたり、1964年に現在の場所に移されました。
釈迦堂の周囲には、最高位の修行に達した聖者の500人の羅漢(らかん)の彫刻がほどこされ、江戸時代後期の特色をよく残しています。
現在の釈迦堂は、厄除お祓いの祈祷所となっています。
光明堂のご利益
光明堂で得られるご利益は、上記の通りです。
なぜなら光明堂では「大日如来・愛染明王・不動明王」が奉安されているからです。
光明堂では、特に愛染明王の縁結びのご利益を求めて、多くの女性が足を運びます。
愛染明王は弓などの法具を持った、顔から体まで赤色で怒ったような表情をしていますが、とても温かい仏様です。
人間が持っている愛欲をむさぼる心、愛欲貪染(あいよくとぜん)を、そのまま「悟りの心」へ変える力を持ち悪縁を切り良縁を結び、人々が幸せに暮らせるよう導いてくれます。
光明堂は1701年に建立された重要文化財です。釈迦堂の前の本堂であり、江戸時代中期の貴重な建物です。
後方には奥之院の洞窟があり毎年、祇園会で開扉されます。
出世稲荷のご利益
出世稲荷では、上記のご利益を得ることができます。
出世稲荷に祀られているのは、荼枳尼天(だきにてん)というインド由来の仏教の女神です。
日本では荼枳尼天が乗る霊孤を日本古来の神・稲荷神の使いの狐と結びつけ、稲荷神と同一視されるようになりました。
そのことから「開運出世・商売繁盛・福財をもたらす神様」として人気を集め信仰が広まっていったといわれています。
出世稲荷は大本堂を正面に左手に進み、階段を上ると出世稲荷がひっそりと佇んでいます。
御本尊は、江戸時代に成田山を篤く信仰した佐倉藩主・稲葉正通が寄進されました。
旧本堂薬師堂のご利益
旧本堂薬師堂では、上記のご利益を得ることができます。
なぜなら薬と癒やしの仏である薬師如来は醫王殿に移される前、この旧本堂薬師堂に祀られていたからです。
古くから成田山新勝寺の参拝者たちは、健康と長寿を薬師如来に祈るためここを訪れました。
そのうちの1人である、歌舞伎役者・初代市川團十郎(1660–1704)は、子宝に恵まれず、江戸元禄期である1688〜1704年にこの場所で子授けを祈願したと言われています。
旧薬師堂は成田山で現存する最古のお堂です。開基1080年祭大開帳の記念事業として境内整備と堂宇の修復が行われ、2013年5月に修理が完成しました。
旧薬師堂は、1969年に薬師堂は成田市により有形文化財に指定されています。
交通安全祈祷殿のご利益
交通安全祈祷殿では上記のご利益を得ることができます。
成田山新勝寺は日本で初めて「交通安全祈祷殿」を建立し、交通災害からの救済を記念した寺院として広く知られ、年間20万台のご祈祷車を迎えています。
新車を買った時だけではなく、年の初めに1年の無事故を祈願する人が大勢、交通安全祈祷殿にやってきます。
成田山新勝寺の交通安全祈祷殿では車だけではなく、航空機の安全も祈願していたりします。
成田山新勝寺の「歴史とご利益」まとめ
以上、成田山新勝寺の「歴史」と「ご利益」を解説しました。
成田山新勝寺は1000年を超える歴史を持ち、年間1000万人を超える参拝者が訪れます。寺院に限るなら全国1位の参拝客です。
とても長い歴史があり、敷地も広く各お堂ごとに多岐にわたる「ご利益」を得ることができます。
「お初参り(神社で言うところのお宮参り)・七五三・結婚式」などの「お祝いごと」にも対応している素晴らしいお寺です。
ぜひ一度、成田山新勝寺へ足を運んでみてください。