お宮参り・七五三詣りで人気の琴平神社(ことひらじんじゃ)。
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オンシーズンになると、たくさんの家族で賑わいを見せています。
主に地元の方が参拝に来る神社ですが、初めて行くという方に向けて、特徴や歴史、どんなご利益があるか解説していきます♪
琴平神社の特徴
琴平神社は、神奈川県川崎市麻生区王禅寺の土地を守る鎮守(ちんじゅ)です。
ご祭神は以下の2柱。
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・大物主神(おおものぬしのかみ)
少し特殊な歴史を持ち、江戸時代より徳川家とも深い関係のある神社でした。
琴平神社の歴史
琴平神社は1570年に建てられました。
もともとは伊勢信仰のある神明社(しんめいしゃ)です。
しかし、1826年に香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)の分霊を祀り、合社(ごうしゃ)の形をとります。
今の「琴平神社」といった名前に改称したのは割と最近の話で、1980年だったりします。
どんなご利益があるの?
琴平神社には天照大御神(あまてらすおおみかみ)と大物主神(おおものぬしのかみ)が祀られています。
元々は神明社で伊勢信仰のある神社。
最初は天照大御神のみを祀っていたのです。
ところが1826年に当時の神主である志村文之丞(しむらむみのじょう)が大きな改革をします。
香川県の金刀比羅宮のご祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)の神霊を分けて迎え入れ、合社の形をとるのです。
1826年は江戸時代。
当時は香川県の金刀比羅宮へのお参りが大流行しました。
江戸時代の日本は、全国を庶民が自由に旅をするのは禁止にされていました。
ただ、神社仏閣への旅のみは許可されていたのです。
旅はただでさえお金のかかる事ですが、自由な移動も制限されていたのです。
「一生に一度はこんぴらさん」といった言葉があります。
「こんぴらさん」とは金刀比羅宮の愛称です。
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そのような言葉もある通り、金刀比羅宮へのお参りの旅は、当時の庶民にとっては「一生に一度の憧れ」だったようです。
1826年に琴平神社は合社の形をとるのですが、これは当時のトレンドを踏まえたものだったわけですね。
ちなみに当時の神主である志村文之丞(しむらむみのじょう)は「18回も金刀比羅宮にお参りした」といった記録が残っています。
神主本人も相当な思い入れのある、合社であったことが推察されます。
徳川将軍家と琴平神社の繋がり
琴平神社は徳川家康がお参りしたと言われています。
また二代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の正室である崇源院(すうげんいん)も祈祷所(きとうじょ)として利用していました。
琴平神社の住所は「神奈川県川崎市 麻生区 王禅寺東」です。
王禅寺(おうぜんじ)とは、かつて王禅寺村(おうぜんじむら)と呼ばれていました。
王禅寺村は徳川家とも深い繋がりのある土地で、崇源院(すうげんいん)の化粧料(けしょうりょう)の領地となっていました。
化粧料(けしょうりょう)とは、江戸時代に女性が嫁ぐ際に取り交わされた持参金や、それに代わる土地や権利などのことです。
伊勢神宮の神霊を諸国に送る伊勢踊(いせおどり)などの神事や祭礼などが、毎年盛大におこなわれていたようです。
後に琴平神社は徳川家の先祖代々のお墓のある増上寺(ぞうじょうじ)に寄付されます。
琴平神社は増上寺の社領として、徳川家と深い関係を続けていくことになるのです。
ちなみに増上寺は東京都の都営三田線・芝公園駅と東京タワーのスグ近くにある大きな寺です。
観光地としても有名で、年末には音楽ライブなどもやっていたりするので、その関係で知っている人も多いと思います。
失われた拝殿
琴平神社は明治維新後も信仰を集め、境内がどんどん整備されていきます。
ところが2007年に神様に向けて拝むための場所である拝殿(はいでん)が放火により焼失してしまいます。
拝殿(はいでん)には、江戸時代後期の武士であり画家の渡辺崋山(わたなべかざん)が描いたとされる六十三枚の天井絵がありました。
しかし、その絵も放火の被害に合ってしまったのです。
六十三枚の天井絵は現在の宮司さんが自ら筆を取り、自力で復元をしたようです。
2011年に拝殿は再建されますが、このような事件もあり儀式殿と本殿は少し離れた位置に置かれています。
手水舎の「がまんさん」
琴平神社の手水舎の手水鉢は、4人の「がまんさん」の像によって支えられています。
「がまんさん」とは山の中で修行をする修験者・山伏(やまぶし)をモデルにしたものです。
我慢をすることの大切さを伝える像で、同じ神奈川県の菊名神社にも「がまんさま」と呼ばれる似たような像があります。
菊名神社の方は手水鉢を支えるのは山伏(やまぶし)ではなく「4匹の鬼」とされています。
「がまんさん」に関しては地域的な関係性があるのかもしれません。
琴平神社の歴史・特徴まとめ
お参りに行かれる前に特徴をしておくときっとおもしろいのでは!?なんて思い、記事にしてみることにしました。
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僕自身、記事内に出てきた増上寺にも撮影で頻繁に行っているので、調べていく中でこんな繋がりがあったの!?なんて発見があり面白かったです。笑
長い文章になってしましましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました♪