初詣の参拝客が全国でもトップ3に入る川崎大師。
厄除けで有名ですが、実はお宮参りや七五三に訪れる方も多いんです。
そんな川崎大師の歴史や特徴、ご利益について解説していきたいと思います。
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お参り前に読んでおくと、もっと楽しめるかもしれません♪
目次
川崎大師はどんなお寺?
仏教の真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の大本山である川崎大師。
川崎大師の名は通称で、正式には平間寺(へいけんじ)と呼ばれます。
厄除弘法大師(やくよけこうんぽうたいし)が祀られ、大師稲荷神社(だいしいなりじんじゃ)とも深い関係があります。
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平間寺…あまり聞き慣れないというか、ピンと来ないですよねぇ。笑
川崎大師を作った人は誰?
〜歴史〜
川崎大師は平間兼乗(ひらまかねのり)という人物によって、1128年に建てられました。
そんな平間兼乗はどんな人物なのでしょうか。
元々は武士で、無実の罪で国を追われ、川崎の地で漁師として貧しい暮らしをしていたんだそう。
自分の不運な人生を嘆き、毎日のように厄除けの祈願をしていると…
ある日、夢枕にひとりの高僧が現れます。
「私が唐にいた頃、自分の姿を像に刻み海に投げました。それを網で取って供養してください」
このような、お告げを残すのです。
平間兼乗は信心深い性格もあって、試しに海に出てみることに。
すると海上で光り輝く場所を発見します。
平間兼乗は、その光り輝く場所に向って網を放ってみることにしました。
そうするとどうでしょう!
「木製の弘法大師像」が引き上げられたのです。
※弘法大師とは真言宗の開祖である空海のことです。
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しかし、まだまだ不思議なことは続きます。
丁度その時に高野山の尊賢上人(そんけんしょうにん)が平間兼乗のもとを訪れます。
高野山とは今の和歌山県高野町に存在する「空海」によって開かれた真言宗の総本山で日本仏教の聖地です。
尊賢上人は旅の途中で「たまたま」立ち寄っただけのようでした。
この「空海繋がり」で不思議なことが重なるわけです。
「これは何か縁があるね」と平間兼乗と尊賢上人は意気投合。
そうして、二人は力を合わせてお寺を建てることに。
その寺こそが川崎大師なのです。
ちなみに川崎大師は「大本山」ですが、これは「総本山」につぐ寺格です。
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総本山の下にあって、所属の寺院を総括する寺の役割をするのが大本山です。
どんなご利益があるの?
川崎大師には厄除弘法大師(やくよけこうんぽうたいし)が祀られています。
厄除弘法大師とは仏教真言宗の開祖・空海のことです。
空海は中国語が堪能でした。
そのため803年に遣唐使(けんとうし)として中国の唐に渡り、真言密教を日本に持ち帰りました。
その時に持ち帰ったのは仏教の経典だけではありません。
薬や土木技術なども持ち帰ってきたのです。
香川県の満濃池(まんのういけ)と呼ばれる、農業に使われる「ため池」は空海が改修の指揮をとったことで有名です。
空海は「目に見える形で」当時の日本社会に恩恵をもたらしている人物。
空海の逸話は人づての噂話だけではなく、伝記絵巻としても全国に広まっています。
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そのため空海は「お大師さま」などの愛称で呼ばれ、庶民からの人気は絶大なものだったようです。
川崎大師と大師稲荷神社の関係
川崎大師を建てた平間兼乗(ひらまかねのり)は川崎に来る前は武士でした。
そのため、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の祖先にあたる源義家(みなもとのよしいえ)の家来になるのです。
平間兼乗は、この源義家と関わりを持ってから、地域の有力者として活躍します。
実は川崎大師を建てたのと同時期に、大師稲荷神社(だいしいなりじんじゃ)も平間兼乗によって建てられています。
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お寺を生涯で2つも建てちゃった人物!なかなかビックリです。笑
川崎大師には「弘法大師像を海より拾い上げた」といった逸話があります。
一方で大師稲荷神社(だいしいなりじんじゃ)では「十一面観音像を海より拾い上げた」といった逸話があるのです。
川崎大師は江戸時代中期から明治までは、大師稲荷神社(だいしいなりじんじゃ)の別当寺(べっとうじ)を務めます。
別当寺とは「神社を管理する寺」のことです。
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このように、川崎大師と大師稲荷神社(だいしいなりじんじゃ)には深い関係があるようです。
スイス大統領エメ・アンベールも賞賛した川崎大師
川崎大師は江戸幕府の第11代征夷大将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が厄除け祈願を行ったことで有名です。
ただ外国の方にも高い評価は受けていて、特に幕末にスイスの使節団代表として日本を訪れたエメ・アンベールは、こんな言葉を残しています。
「川崎にはいくつも寺があるが、その中で立派なのは大師河原平間寺で、日本のもっとも純粋な仏教建築の1つに違いない」
エメ・アンベールは1858年にスイスの大統領を務めた人物です。
当時のエメ・アンベールはスイス時計連盟の会長として、時計などの輸出市場として日本を見ていたようで、率直な意見を残しています。
エメ・アンベールは日本滞在中に写真、絵画、木版画など大量に収集していて、その中に川崎のお寺の木版画などもあったりします。
川崎大師の歴史や特徴・御利益まとめ
いかがでしたでしょうか?
創建した人物の話なんてなかなか聞く機会はないと思うのですが、知っておくとお参りがさらに楽しめるのでは?なんて思い、歴史や特徴などご紹介させていただきました。
ちょっと長い文章になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!